黒瀬整復院

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手術というのは、充分に注意はするけれども 麻酔を掛けるのです。特に、全身麻酔はキケンです!!

“思考”について・・・

そして、

「潜在意識」について・・・

やっと話が スタートラインに立ちました・・・みたいなトコロなんですが、
実は[意識の話・・・]自体が 「潜在意識」の話がしたいが為のタイトル名でした。


※ここで、ちょっと話忘れたトコロの補足を・・・

よく世間一般の話として
“子は親の鏡・・” というのを聞きますよね?

本当~にその通りだと思います。
そして、プラス・・
私的には “自分の周りは己の鏡・・” です。

ですから、
自分の周りの出来事や状況を観れば “自分の知らない自分(潜在意識)の思考” がわかる訳です。

言い換えると、
“もう一人の自分(もう沢山の自分)⇒潜在意識” を知りたければ 己の周りを見渡せばイイ ! のです。

でも、
それで何か?に気付けたとしても 後の祭り・・結果論からの判断しか出来ないわけですね(冷汗)

となると、
「結果」になっちゃう前→「思考が現実化」しちゃう前に、
すなわち “原因の段階” での、「自分の潜在意識のレベル」で
「”プラス思考(ポジティブ思考)” なのか?”マイナス思考(ネガティブ思考)” になっちゃってるのか?」の
判断をつけたいじゃないですか?

では、
「そのためには “どうしたらよいのか?”・“何で判断したらよいのか?”」を
知りたいですよ・・ね(笑顔)

その方法は とても簡単なのです。

けれども “私はそれに気付く”→”腑に落ちる”⇒「潜在意識に落とし込む」のに、
十年以上かかりました。

解ってしまったら、そんな話はもっともっと前に聞いたコトのある話なんだけれども
やはり、以前にもお話したように

「ヒトは自分のレベルに見合った話しか 受け取れない !」 のです。

ですから 言い換えると、
「このレベルに達するのに 私は十年以上かかった・・」というコトな訳です(苦笑)

で、
「それが出切る様になる→上手になる⇒自在に使いこなして達人・名人の域に至る」には
とてもとても大変なコトであるんです・・ね(笑顔)⇒”治療の手技も全く同じ” でございます。

その “潜在意識” 下(“顕在意識” においては自分ですぐ判断できます)においても

自分が “プラス思考” で居られる方法は・・・

実は前回の [意識の話・・・18] の最後の方に書いてあります。

そして、判断方法は・・・
今の自分の感情が “プラス状態か?”・ “マイナス状態か?”⇒”いい気分なのか?”、”良くない気分なのか?”
という、至極簡単な感覚判断なのです・・よ(笑顔)

長い補足になっちゃいましたが、
これはとてもとても大事な “奥義的なお話” でございます。


では・・

話の続き・・へ

私は”〇〇〇〇の法則” という “整理の仕方” は、とても好きで
結構子供の頃から、「何かこんな傾向なぁいい・・・?」 みたいな現象に気付くと 書き留めていました。

その中で 自分だったり、周りのヒトだったりで試してみて 「これはそうだ !!」というものに
“〇〇〇〇の法則” と名付けて 正式に保存するわけです。

でも、それは
何か? 気づいたコトを整理するのが楽しいし、周りの人達に同調してもらうと嬉しかったりで、
遊びの延長としてやっていました。

以前にも書いたと思いますが、
私は昔から 他の人たちとは、良い意味で違くなりたい !! という強い願望をもっていました。

けれども 初めの内は、
“〇〇〇〇の法則の整理” とは全然別の感覚でした。

話がまたまた、それた上に飛んでしまい 重複する部分も出てしまいますが、

私は、中学2年・3年・高校1年と3年間 柔道と平行して・・・と言うより
柔道は一旦ほぼ止めて、空手に転向しました。

私の世代の男子ならば ほとんどの方がご存知かと思いますが、
“極真空手” に『 自分の夢⇒世界一強くなりたい !!』を 見出した時期がありました。

劇画作家の梶原一騎さんが 画いた “空手バカ一代” に出会い、とてつもなく影響を受けました。
もちろん、とても良い意味で・・・

劇画ではなく、現実の世界での “地上最強” に 憧れました。
そこで、”極真会館” に入門しました。

子供の頃に2歳年上の従兄にケンカで勝ちたくて、柔道を始めたことは
お話したと思いますが、
私の年代は子供の数がとても多くて、小学校や中学校をどんどん増設している時代でした。

やはり、
ヒトの数が増えると色々なトラブルも増えますし、色んな個性の子供が沢山出てきます。

そんな中で、男の子の場合
「“ケンカが強い !!” というのは 自分のアイデンティティを守って行く、
自分の居場所を確保する為には とてもとても大切な要素であり、能力である !!」 と
当時の私は感じていました。

元々柔道をやっていて、試合等ではそれなりの成績を多数修めては いましたので、
私周辺の友達からは 「あいつは柔道が強いから、ケンカも強い !」と 勝手に勘違いしてもらえて、
意地悪をされたり、いじめられたりすることは 全くありませんでした。

ところが・・・

私の通っていた中学は 当時、一学年500人くらいいましたが、
そこに他校からの “不良と思われ・・?るスゴいカッコをしたお兄さん達” が
毎日校門の前でハッテいる、居たんです。
いわゆる シメに来ているわけです(冷汗)

そして、うわさによると 誰々がシメられて、
泣いて謝った・・とか、お金をとられた・・とか、土下座させられた挙句ボコボコにされて頭を剃られた・・とか、云々・・
怖いウワサが流れ始めました。

マジメで大人シメで、体も小さく・・
でも 柔道を習っていたお陰でどうにか自分の居場所を確保していた感じの私からしたら・・・

「いつか自分もやられて、泣かされちゃったら 本当はケンカが弱いのがバレてしまう・・・
だって、自分は従兄にすら一度もケンカで勝ったことは無いんだから・・・」

という 心配と言うより、恐怖に近いモノが芽生えていました。

だから、
「弱いのがバレちゃう前に 本当にもっと強くなっちゃえばイイんだ !!」という感じでした。

元々ストイックに努力を重ねるというのは 結構やっていましたから、
覚悟を決めて何かにチャレンジするのが、好きだったんだと思います。

“当時の極真空手” は 漫画やテレビの影響で 大盛況でした。

毎日毎日沢山の入門者が訪れて、”お客さん” が溢れ返り 道場の前の道路や近所の公園での
基本練習が普通に成っていました。

ある時期からは 稽古に言って気絶しないで帰れる日はない位 “シゴカれ” ました。

確かにモノ凄く辛かったし、稽古に行くのが怖くなってもいました。
でも、不良にシメられて 気絶したり、泣いちゃうのはもっと嫌なので頑張りました。

その頃の私が 想い描ていたコト・・・
それは、
「稽古やトレーニングのときに最大限自分の力が発揮できて、
それ以外のときは おとなしく息を潜め、誰にも気付かれない。
とにかく強くなるためにだけ生きて行きたい・・」的・・な・・・感じでした。

けれども、正直なところ
「稽古やトレーニングのときは疲れてクタクタ。
それが終わると 元気が出てきて、また稽古やトレーニングでは・・・ショボショボ(涙)」みたいに、
なって行きました。

そんな生活を3年間続けました。

でも、
確かにケンカは強くなっていました。

と、いうのも・・・
私は元々ケンカっ早いタイプではありません。だから、
最初のうちは自分を守るために強くなりたかった。んです。

ただ、空手を習い 毎日倒されて続け、一年もしないうちに
自然と自信が出始めました。

勝つ負けるというよりも、やられるコトが怖くなくなった。
ある意味、開き直れたんだと思います。

“やられるのが怖くなくなった” モンですから、後は “勝てばイイだけ !!” という感じになってきました。

そうなると、今度は自分がどのくらい強くなったのか ? 試してみたくなる(苦笑)

となると、
ターゲットは 数ヶ月前までは なんか怖そうに見えた不良のお兄さんたち・・です。

案の定・・・やりましたよ・・・(笑顔)


手術というのは、充分に注意はするけれども 人工的な外傷を負わせるコトになるのです(冷汗)

“思考”は原因であり、生み出された状況は “思考” から もたらされた結果である。

“ネガティブ(マイナス)思考” からは “ネガティブ(マイナス)な状況” が もたらされる。

“ポジティブ(プラス)思考” からは “ポジティブ(プラス)な状況” が もたらされる。

の ではあるが、
ただ単純に “ポジティブ思考” をしていれば “ポジティブな状況” が訪れてくれる訳ではない !

“ポジティブな状況” を創る(引き寄せる)には “バランス思考” が必要→大切となる!!

では、
“バランス思考” とは・・・

“ネガティブ思考” は モノ・コトの “マイナスの面” ばかりを捉えてしまっていますから、
とても良くありません。

“ポジティブ思考”は モノ・コトの “プラスの面” ばかりを捉えています。
ですので、一見(一聞)良さげに見え(聞こえ)ますが ここに落とし穴があります。

気を付けないと、自分にとって都合の良い側面のみしか見え(捉え)ておらず
独りよがりになって、よそ様に迷惑を掛けてしまうコトも有り得ます。

※モノ・コトは 常に “プラスの面とマイナスの面の二面性” を持っているのです。
つまり、”二つでセット” なのです。

※“宇宙のエネルギーバランス” としては
「量」としては “プラスのエネルギーの方が、マイナスのエネルギーよりも結構少ない !”
「強さ」としては “プラスのエネルギーの方が、マイナスのエネルギーよりもずっと強い !!”
そして、
総合的には “プラスのエネルギーの方が、マイナスのエネルギーよりも少し勝っている !!!”
と、言われています(笑顔)

“バランス思考” とは モノ・コトの二面性をしっかりと捉え、マイナス面への考慮をしたうえで
尚且つ、プラス面を活かしてゆくコトを “思い、考えられる !” ・・⇒”意識を向ける・・フォーカス出来る !!” ということです。

もうちょっと発展させると 
「“プラスの願望を持てる"・・→"楽しい気持ちでワクワクしている"・・←”マイナス面もきちんと考慮した上で"・・」 という言い方も出来ます。

武術の世界では、
「怖いもの知らずは愚かな事。」
「怖いものの怖さを本当に理解したうえで、その怖さを克服したものが本当の強さである。」
と言われます。

また、怖いものに関して・・
「見える恐怖ならばまだましだ ! 本当に怖いのは、見えない恐怖である !! 」といいます。
(→気が付かない・気が付けない←見えない・見えていない)

宇宙の法則として、
「二面性の法則」と言ったりしますが 上記のよう “な・に・か?” があります。

やはり我々も宇宙人ですから、
●宇宙の法則には “逆らえない !” という捉え方もできますし、
●宇宙の法則に “護られている!!” という捉え方もできます。

※ちなみに “宇宙” とは “親” みたいなものでもあります。
(無償の愛に満ちています)

「どう捉えた方が自分にとってイイ感じか?」
で・・、選択すれば良いと思います。

「どちらの捉え方が 自分にとって自由度が高いか?」

「イイ感じで、自由度が高い捉え方が "ポジティブ思考" である !!」 とも言えると思います(笑顔)

「そこから更に "バランス思考" が、大切となる !!!」であります(W笑顔)


色々な悩める人に聞いてみると・・・手術をして、余計に悪くなった人が沢山いらして ビックリしました。

私が “合気技” の存在を知り、その奥の深さや質の高さ等 “合気技” の凄さを知ったのは、
柔道の現役を引退して、治療家として もっともっと技術を磨き、腕を上げて行きたいと
思い始めてからでした。

柔道に価値を見出し 頑張っている頃、頑張れていた頃には “合気技とか、その哲学” は
必要なかったし、何より理解することも出来なかった・・・訳です。

“合気道”のことは知っていました。
けれども、
“合気技と合気道の違い” が 初めのうちはよく分かりませんでした(冷汗)

※「我々は素晴らしい情報を得ても、自分のレベルに見合った部分しか分からない(受け取れない)。
分からない(受け取れない)から、吸収出来ない !
だから、当然のコトとして出来るようにはならない ! なれない !!」

私の場合、年齢や状況から 体力や気力の衰えを少しづつ感じ始めて
ようやく気付き始めました。⇒「気付きには その人なりのキッカケが必要です。」

“治療という仕事” を長く続けていると やはり、”疲れる・・飽きてくる・・” という問題に
遭遇してくる話題が仲間同士で出始めます。

患者さんから 何かの感染症をもらう・・というコトではなくて、
なんだか?・・ “マイナスのな・に・か・・・?” をいただい(受け)て・・しまう のです(冷汗)

この感じを 仲間内では、“かぶる” と呼びますが
“かぶった” ままでは まずい(カラダやココロが病気になってしまう・・)ので、各々それぞれ 何らかの対応策をこうじます。

治療機器の導入や若いスタッフを雇い入れて自分は経営にまわって行く。
なにかのおまじないや占い、宗教的手法を取入れる・・等々 色々な工夫や考え方・やり方が
あるようです。

私の場合には とにかく、
「自分が治療をしたい ! 凄い治療家になりたい !!」 と いうのがありますので、
器械を使ったり、人に頼る・・というのは 有り得ませんでした。

自分がこの先、なるべく疲れずに ”かぶる” コト無しに 更に進化し、
“達人・名人” と呼ばれる治療家になるには どうしたらよいのか・・・?

私なりの気付きは・・・

「脱力」でした。

※「ヒトという動物は 本来、自分が本気(本当の本気)で意識(求める・・)すると 
必要な情報(モノやコト)を “引き寄せられる・キャッチ出来る能力” を持っているのです。
自分の “潜在意識” がそれをやってくれる。⇒そうして出たチカラを “潜在能力” と言うのです。」

「力で受け止めて、跳ね返す ! ではなくて 受け止めずにかわして流す・・・
そのカラダの使い方とココロの有り様・・・」

“余分な力を抜く。カラダもココロも・・・”

そうして、
“手技を使い、手技を研いて行く!!” でした(笑顔)

でも、
「脱力」って 言葉で言うほど簡単ではありません。

こういった話の場合、 “カラダとココロ” は ほぼ連動・・として捉えるコトが出来ます。

ある場合では、わざと “カラダとココロ” を 切り離して捉えるコトも多々ありますが・・・。

とりあえず、”カラダの脱力” として・・

まず、
自分が力んで(固まって)いるのか?緩めて(脱けて)いるのか?が判らないと、どうしようも・・ない !
全体としても、部分としても・・・

あ、
「脱力」の話も奥が とても深いので、またの機会に・・・しましょう(笑顔)

で、
その脱力の訓練・鍛錬をしながら、治療の技術研鑽も同時進行で高めてゆく。

私はその頃から、「本質力と具体力」という捉え方の括りにして “整理” をしました。

最近では
A 「根本力→意識力」
B 「本質力」
C 「具体力」
に区分け(整理)し直しました。(A+B+C+その他の要素⇒「人間力~総合力」)
この
「意識の話・・・」は A な訳です。
「脱力の話」は B で、
「手技の話」は C となるわけです。

そして、
私は「脱力」をテーマに色々やっている中で “合気技” を知りました。
とても興味が湧いて 「自分も “合気柔術” をやりたい !」 とも思いましたが、
「”治療術との並行修行” は中途半端になりかねない !!」と思い、実際にはやらずに現在に至っています。

でも私は “合気技で飛ばされた経験” が何度かはあるんです。

柔道技で投げられるのとは全く違う !

何で?飛ばされたのかが分からない!!

なまじ柔道経験があり、その感覚や理屈が入ってしまっているので
逆に色々な意味で解らない !!

です。

まるで “妖術” を掛けられた・・・?
みたいな感じでした。

しかし、”合気術を使える方の解説” を聞くと “妖術” などでは決してなく
むしろ、物理学的に理論に基ずいた 
“相手の力を抜く、相手のチカラを使えなくさせる方法” のようです。
しかも、それを一瞬のうちに行う、行えてしまうようなのです。

ビデオ撮影などでの スロー再生レベルではとても見切れないほどに・・・(冷汗)

むちろん、そんな “神業のような凄い術体系” であることに間違いは無いのですが
世間一般的にいうところの魔法や妖術ではない !
何度でも再現できる、再現出来たヒトがいらっしゃったことは現実ですから
非常に科学的(再現性と客観性が明確にあるコト)な技⇒業であります。

でも、
この神業が本当に使える・使えた方は 数少ないのも確かです。
だから、凄いんです。

“神業が使えるようになる” ためには 
色々な要素(理論的背景やその理論を実現するための気力・体力→鍛錬)が必要です。

この手の話もまたまた 機会をみて・・・ということで・・・(笑顔)


ただ、
現時点で私は “武術としての合気技” ではなく、
“医術としての合気業” を自分が使えるようになるコトを目指しています。

その先に以前お話した “魔法が使えるようになる !”
いや、                   ↑
先ではなく、”同時進行でなけれは "そう"はなれない!!” です(笑顔)

で、
今の私には 「我即宇宙」の感覚はよ~く解ります(笑顔)

でで、
思考とは・・・自分自身に対する質問なんです。


原因もハッキリしないのに どこを、どのように、どんな手術をするのでしょう・・・か?

あ、ちなみに
「我即宇宙」と言った武術の達人の先生は、”合気道” の創始者です。

私は[意識の話・・・]で 武術・武道の話がしたい訳ではないので、
あまり深くは語りませんが
ちょっとだけ・・・

私が長く係わってきた “柔道” は 
私的には、柔術の沢山ある流派のうちの一つの形態であり団体という捉え方です。

“一つの流派” と言うのともちょっと違う。

同じような感じで “合気道” があります。

同じ柔術の流れから分かれて “柔道” と”合気道” はありますが、特徴が全く異なります。

元々日本の武術は 剣術の理合い(理論)が基本となっています。

武術と武道はイコールではありません。

興味の無い方にとっては 似たように聞こえるでしょうし、どうでも良い?コトかもしれませんが、

“武術→術” と言うのは 方法論の体系化です。
“武道→道” と言うのは 方法論の体系化に更に哲学的精神論が強く係わってきます。

柔道の場合、創始者の嘉納治五郎先生はやはり 柔術出身者ですが、
“術→勝つための方法論的要素が強くなりすぎた柔術”

“道→哲学的精神論(道徳的概念)にも重きを置く⇒小道から大道への進化”
という意味を含め・・

“柔術” からの 進化の想いを込めて “柔道” を名乗られました。

しかし、私が学んだ柔道は 精神論はさて置いても、術体系そのものが力任せの方向が
極度に強くなり 体力、腕力 そして、体格の勝る者が絶対優位にある “剛道” でした。

現在オリンピック等の国際大会を中心とした “JUDO” は更に “剛道化” が進み、
“私がやっていた柔道” とは別のモノのように変化(退化?)しています。

私は小さい頃からカラダが小さめで 今でも背が低いのですが、
カラダの割には力が強く 体力にはかなりの自信がありました。

ですから、”力任せの剛道” でも 充分に対応は出来ました。
高校時代には 当時流行のウエイト・トレーニングにも積極的に取り組み、
元々筋骨隆々系でしたが 更にマッチョ的になった自分に惚れていたトコロもちょっとありました(苦笑)

確かに当時の体重は60㎏チョッとですから、相手が二倍の体重になると楽ではありませんでしたが
どうにもならない ! とは思っていませんでした。

むしろ、80㎏位で俊敏なヒト(もちろん、相手のレベルによりますが・・)の方がやりにくかったです。

体重別で60㎏級というのにも出ていましたが、その体重別の方が力比べになり易い。

つまり、”剛道の試合” になり易いのです。

だから、体力をつける ! 腕力をあげる !! コトを一生懸命にやった訳です。

そして、”そういった価値観→力絶対主義的” で モノ・コトに取り組めば、
色々コトが全て “力絶対主義的価値観” の基にまわりだすのです。

言い方を変えれば、
「私は力任せの世界に居た !」⇒「自分が力任せの価値観を強く持っていた !!と、いうコトなのです。

ま、そりゃそうですよね(苦笑)
ケンカが強くなりたくて 柔道始めて、ガンバッた訳ですから そりゃそうなりますよ・・ね(苦笑)

“ケンカの世界” というか、”ケンカモードの人のココロ” ってもろに「修羅・畜生の世界」に
行っちゃってますモンね(冷汗)


で、

対して、

“合気道” は “柔道” とは全く違う発展の仕方をしました。
私は “合気道” はやっていませんので、実態に関しては詳しくは無いのですが
“柔・剛という捉え方” で 言うならば、”柔道の剛術” に対して “合気道は柔術に近い・・” となるでしょう・・・

“合気道” は “柔道のような試合” は無く(合気道でもある分派では 試合をするトコロもありますが・・)
演武というものを行います。

柔道の創始者の嘉納治五郎先生は晩年、合気道の演武を観て
「これが私のやりたかった柔術だ !!」と、おっしゃったとか・・・という逸話がある・・とか、ない・・とか・・(苦笑)

この逸話が本当だとすると
治五郎先生は “柔道が剛術になり始めた” のを お気付きになってい・・た???のかも(苦笑)ですね

嘉納治五郎先生は 柔道家ですが、学者でも有あり 教育者でもあり 東大で教鞭をとっておられました。
国際オリンピック委員もされており、色々な広い見識を持っていらっしゃったので 
“柔道が国際的に認められるような活動” も早くから行われていたので、現在の柔道の発展もあったわけですが
その分、失われたモノも あったのだと思います。

別に
“剛術” が悪いわけではありません。

ただ、
現在の私が “求める方向性ではない !” だけです。

ちなみに
“日本武術” の体系の中には “合気技” というすばらしい術体系があります。
“合気道” は その “合気技の一部を抽出した術体系” なのです。

“合気の世界” もかなり複雑で 色々な流派が存在します。


「あとは、手術しかないね・・・」と、言われましたが・・・

私は武術・武道系の人間ですので 
どうしても何かを考えるとき、”そちら系⇒武術・武道系”(モノ・コトを置き換えて例え話的整理をする時・・に)
の捉え方に行ってしまうのですが、

昔の武術の達人と呼ばれた方で 「我即宇宙」と言っている先生がいました。

この方は 武術だけでなく ある宗教にも傾倒していたので、宗教的な観点(宗教カブれ)から
「我即宇宙」なんて、よくわからないコトを言っている “頭のイカレた爺” 位・・・に
その頃は思っていました(苦笑)

正直なところ
柔道を一生懸命にやっていた頃の私は 「力も技のうち! かなり力が大事!!」と
強く思う様になって行き、そういう(どういう?~勢いや腕力等・・暴力も含んだ “力” 優位の感覚)方向を
強めるトレーニングや考え方~価値観を持ち生きていました。

その当時の私の周囲は明らかに、”力絶対主義” 的な人たちばかりでした。
というより、私自身がその価値観で周りを引き寄せ、自分から引き寄って行った。訳です(苦笑)

私は元々子供の頃から 前述しましたように、
「一般常識からするとちょっと変わった不思議な感覚を持っている子供であった」コトも確かです。

しかし、
「ケンカが強くなりたくて 柔道や空手に勤しんだ頃には かなり違う方向(力任せの世界)に突き進んでいった・・・」
時期だと思います。

大体 中学二年生(14歳)位から35歳位までの20~21年間くらいだと思います。

私なりに見て来た “柔道の世界”(係わった時間が空手よりも柔道の方がずうっと長いです) と言うのは
“ かなり力任せの世界” で、”強い奴が偉くて 弱い奴は価値が無い !”
と言うトコロでした。
他の方はわかりません。
私にはそう思えました。

でも、
自分から飛び込んで 自分なりに頑張って、結構楽しくて 色々なコトを学び、得たモノが沢山ありました。

言い方を変えると、
14歳位から35歳位までは “力任せに生きていた→生きてみた” というコトです(苦笑)

ところが、
35歳も過ぎてきて 体力の衰えを少し意識するようになり、
それに伴って毎日やっているコトにツマラなさを感じ始め、
「この先もずーうっと同じ感じでやっていくのは 嫌だし無理だな・・」と思うようになりました。

そしてまず、
疲れへの対策を模索し始めました。


アイシング⇒本当の本物のやり方・・・お教えします\(^o^)/

前述の様に 我々のカラダに備わっている恒常性維持機能(ホメオースターシス)を
最大限に活動させ、活用するために アイシングを行うのですが、

実は
実際には、アイシングの後に直ぐ暖めるのです。
保温ではなく、積極的に暖める。その暖めは “湿度の無い乾熱” ではなく、
“湿度の高い湿熱” による暖めをするのです。

症状によって 具体的にどこに、どのように氷を当てるのか?

そもそも
氷をどのように作るのか? (凍らせ方ではなく、アイス・バックとしての形や大きさ・・という意味合いで・・)

そういった現実的やり方は 省きます。[方法やテクニック的部分は 企業秘密の部分もありますので・・(笑)]

何故?? “アイシング→ホット” を する必要があるのか? のお話です。

カラダの表面を氷で冷やす(氷はなるべく皮膚に密着させます)と、皮膚温度が急速に低下します。
体内環境を常に一定に保っていたい “恒常性維持機能(自律神経)” からすると、
そのまま冷えっぱなしには しておけない。

だから、急いで元の温度に戻そうとする。
そのために血を集めてくる→血流を良くする。 
この 血流が上がることにより回復力も同時に高まるわけです。

ですから、
一般的な解釈による 冷やすことによる鎮痛・消炎効果を狙うだけでなく、
回復力を高めるために冷却するのです。

我々の健康なカラダの一つの基準として、”血流が良い !!” というのが とても大切な要素なんですね。

ところが、
健康な人が たまたまケガをしたような場合なら、あまり気にしなくても大丈夫なんですが
内臓の状態が良くなかったり、お年を召していたり、極度に疲れていたり、
過去に大怪我をしていたり、凄く寒かったり・・等

体調や気候によっては 体表面を冷却した際に “要らない冷え” を誘発してしまう場合も多々あるのです。

それを
即、解消 !→体表面に生じた一時的な冷えの解消を氷を乗せたところに、湿度の高い温熱を掛ける(乗せる)ことにより行います。

ま、
家で自分でやるときには アイシングの後、直ぐにお風呂に入ってしまって
カラダ全体を暖めてしまってもO.Kなんです(笑顔)

“アイシング” をしたことのある方ならば ご承知かもしれませんが、
まず、氷を乗せられた(着けられた)直後は とても冷たい。
そして、暫くすると痛くなります。
更に時間が経つと、痛みは薄れ何だかよく判らなくなってきます。

こうなるまでに 10分から15分位です。

ですから 個体差、症状、部位、季節等を考慮して “冷却時間” を設定し、
“冷却時間” プラス5分位、引き続き暖めます。”湿熱” にて・・・

なので、”アイス→ホット” は 何だかんだで30分くらい掛かるのです。

その間 全く動いてはいけない ! わけではない !! のですが、
同じ姿勢をそれなりに続けていただくコトにはなってしまいますので、
何が何でも行うわけではありません。

また、どうしても “アイシング” が合わない ! という方も、稀にはいらっしゃいます。

その場合には もちろん無理には行いません(冷汗)よ。

やはり、ケース・バイ・ケースですね・・特に “物理療法” に関しては・・・(苦笑)です。


アイシング⇒鎮痛・消炎・・ただ冷やせば・・何となく、マシ・・とか、思ってませんか?

私の・・・黒瀬整復院内での “言葉の使い分け→捉え分け” として、

“冷え” と “冷却”→「風でスウスウして、冷たくなってしまうコト」と「氷でワザと冷やすコト」の違い

”暖めること” と “保温”→「カイロなどで、積極的に暖めてしまうコト」と「タオルや毛布などで温めておくコト」の違い

をお話しています。

“似て非なるモノ・コト”

ざらっと捉えたら同じように思ってしまうけれど・・実は全然ちがう・・・結構沢山ありますよね。

基本的に

●冷却と保温は◎◎◎~氷で冷やすコト(生理的冷却)とタオルや毛布などで保温・温めておくコト

●冷えはXXX~風等冷たい空気でスウスウして冷えてしまうコト

●暖めることは 季節や状況によって・・△▲~カイロや電気アンカ・毛布等で過度に暖めてしまうコト

です。

私のところで行う “アイシング⇒生理的冷却” は 水を凍らせたもの=”氷” で行います。

水は0度で固まりますが、融け始めるとプラス4度で安定します。
ですから、氷で冷やすのは患部をプラス4度で冷やしているわけです。

ヒトの皮膚は0度以下で冷やしてしまうと、凍傷になってしまいます。⇒冷えすぎるうえにお肌を傷めてしまう !

たまに、
「早く水を凍らせて アイシングしょうとして、水に塩を入れてしまう人がいるのですがこれは絶対にしてはいけない !!」 コトなのです。

我々の体には “ホメオスターシス=恒常性維持機能” が備わっています。
この “恒常性⇒体内環境を常に一定に維持する” はよく耳にする “自律神経” という臓器が
我々の顕在的認識とは別ところで、自動的に行っている いわゆる、”自動制御システム” なのです。

そして、自動制御システムである “自律神経” に指令を出しているのが
“潜在意識” であるわけです。

なので、医学的には “自律神経” のことを “生命維持装置” という言い方をすることもあります。

この “自律神経の恒常性意識機能(ホメオスターシス)” を
フル活動・活用させる方法が “アイシング⇒生理的冷却” なのです。


ペインクリニックにも行き、神経ブロックも受けました。変わらないどころか、力が入らなくなり 立ちにくくなって、暫く感覚がなくなり全く歩けなくなってしまいました。

「顕在意識」があくまでも ”主” であり、
「潜在意識」があくまでも “従” である。

しかし、
「顕在意識」対「潜在意識」は2:98から5:95位の比率で “量” 的には「潜在意識」の方が
圧倒的に多いのです。

とりあえず、
意識というモノを「顕在意識」と「潜在意識」の2つに分けて捉えた場合の話です。

実際にはその2つを包み込むような感じで 「集合的無意識」→「通底意識」・「集合魂」と呼ぶ
“もっと大きな何か?” に繋がっています。

それが ボワワわ~んと拡がって宇宙に繋がる ! というか、
それらそのモノが宇宙である !! とも、言える・・・!? とも、今の私の段階では思っています。

ここで言う “宇宙” とは、物理学で言うところの “天体としての宇宙” とは、イコールではありません。

私的には、
“天体としての宇宙” は 実態として存在しているのだと思いますか、
“宇宙” は 「その実態を含んだもっと広大な何か・・」⇒「フィールド・場」であり、
エネルギーの集合体だと思います。

そういった意味では、
“天体としての宇宙” は「ミクロな世界」であり
“宇宙” は「マクロな世界」・・・?
と、区分けするコトも出来ると思います。

で、
“意識”と”思考” がドウつながるの・・か??? ですよね(笑顔)


アイシング⇒生理的冷却について・・・整復術のアイシングはただ冷やすだけではあり・・ません!!

一般的に行われている "アイシング" と
私のところで行っている "アイシング⇒生理的冷却" の違いをお話したいと思います。

まず・・・
患者さんからよく
「私は 冷やした方が良いのですか? 暖(温)めた方が良いのですか?」という
質問をお受けします。

この場合のほとんどは、「自分は "冷シップ" が良いのか? "温シップ" がよいのか?」という
質問なんです。

が、
実は "シップ" と言うのは おそらく一般の方が思うほどに、"薬"として効いているわけではなくて
「"面圧" を掛ける⇒"手を当てている状態" をシップを貼ることで代償している ! から、痛みが軽減する !!」 のです。

そして、この "シップ" の代わりに "テープ" を使っても、似たようなことが起こります。
そして、今度は "テープ" 自体に何らかの "素材" 的工夫を加えるることにより、更なる付加価値を与えるという
考え方、やり方も有り チタンテープだったり
あるいは "テープ" でなく 何か金属を貼り付ける。例えば、一円玉とか十円玉とか・・・色んなモノで・・・昔一時期流行ましたよね・・(苦笑)

ま、色々な考え方・やり方が存在するわけですね。
それはそれで面白いのですが、どうしても "素材" でどうにかしようとすると、
人それぞれの個体差による反応がまちまちで・・・過敏(アレルギー)だったり、鈍(無反応)かったり・・・で・・・。

テーピングに関してはこの方法はこの方法で、色々な考え方ややり方が存在していて
奥の深さはありますので、またの機会にお話します(笑顔)

あ、
で、"シップ" ですが "冷シップ・温シップ" は、"冷やす・温める" ではなくて "冷感・温感" なのです。

またまた話が長くなり、分かって頂けないと "屁理屈" に聞こえてしまう? かも しれませんが、
これは大きな違いなんですょ(笑顔)

冷シップと温シップの袋の裏の効能書きを読み比べてみてください。

同じことが書いてあるんです(驚)

では、何が違うのか?と、成分を見てみると ほぼ同じ・・でも、一つだけ "唐辛子チンキ" というのが "温シップ"には入っています。

この "唐辛子チンキ" で、温感を出すわけです。あのカッかカッかした感じ・・をです。

この "唐辛子チンキ" は お肌への刺激が強いので、赤くなったり、かぶれたり、場合によっては痛くなってしまうこともあります。
ですから、基本的にはあまり使わないほうが良いのです。

で要は、
貼ったときに ヒヤッとした方が気持ちよいのか? カッかしたほうが気持ちよいのか? の感じ分け・使い分けなだけなんです。

けれども、
実際にはそういうことではなくて 本当の意味で
冷やしておくのか? あたためておくのか? その選択を間違えてしまうと とんでもないコトになってしまいます。

例によって
話が まだまだなので・・・(苦笑)

次回に続きます・・・(笑顔)

オステオパシーも受けましたが・・・全く変わらず・・・ダメでした。

私がここで “思考” について お話したい大事な方向性は、
「思考が現実化する→実現する」訳ですから “自分が思い、考えたコト” が 
実際にそうなるという捉え方を基準としたら・・・

良いコトも、悪いコトも・・・実現する。わけですよ・・・ね

じゃあ ~ 良いコトばかり考えて、悪いコトは考えなければイイ !

“思考”

“考える” 方が “思う” よりは コントロールしやすいですよね。

でも、”思う” のだって 少し訓練すれば、あまり悪いコトを思わないようには 成れる、慣れる・・?
これだけだって、結構大変だと思うんですよ。

ところが、
この “訓練” と言うか、”慣らす” というか、通常コントロール出来る様になれるのは
“顕在意識” の部分での話な訳です。よ

ヒトの意識は 分類の仕方にもよります(論文ではないので、学説や資料の出所は一切省きます)が、

〇顕在意識(意識)~いつもの自分

〇潜在意識(無意識)→深層意識~もう一人の自分・その他の自分・沢山の自分

〇集合的無意識→通底意識・集合魂

生命に係わる、”ヒトという生命全体に共通する大切な情報” を共有して
種族を守るために受け継がれる根本的に重要な情報を共有・共存意識の集合体

重要なのが・・・

潜在意識です。

そして、
“潜在意識と顕在意識” いいえ、”顕在意識と潜在意識” の「関係性」なのです。

え?
“潜在意識と顕在意識” じゃなくて、”顕在意識と潜在意識”・・・? ひっくり返しただけで
同じじゃないの? ですが、

同じじゃないんです。

例えば何かの式典とかで座る順番とか、名前を呼ぶ順番とか・・・間違えると大変なシーンって
あるじゃないですか・・・

それって、順番が立場の優位性⇒権力関係を表すわけですよね・・?

その立場関係をはっきりさせる必要があるんです。

“潜在意識” は “顕在意識” に対して 「絶対的に優位な立場にある !!」 と・・・。


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